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島原の縄文中期遺跡の特徴

今は『島原半島の古代文化』を読んでる。
おもしろい。
マンモスの臼歯化石が有明海で出たなんて知らなかったな。氷河期は朝鮮半島と繋がった時もあっただろうから、マンモスが歩いて来ても不思議じゃないね。マンモスがいたから人の痕跡もあるんじゃないの??ハンドアックスも出てるそうだし。
だから一応三万五千年前の尖頭器も出るけど、ハンドアックスはそれよか前だから、それ以前ってことだろう。だって小値賀や宇久なんかも古いからさ、島原も古くて当然なんじゃないの??獲物を追って人が流れて来ても不思議じゃないね。私は大村湾の海底に古い遺物が埋もれていると思うよ。島原の沿岸には海底遺跡も多いみたい。島原半島は断層の関係でわずかずつ沈降しているそうだから。島原ジオパーク参照。
縄文早期の説明の中で、早期の土器が底が尖っているのがナゾだと書いてあるけど、私が説明しよう。葉っぱだと思う。容器として葉っぱをくるっと丸めたものを使っていて、それをわっかみたいなものでホールドしたんじゃないかと思う。その延長で土器も底が尖っている。そうそう、土器というものがなぜ発生したのかというとさ、ものを焼く時には簡単なカマドみたいなものを作るじゃない??石を積み重ねて。そのときに粘土状の土で石が動かないように目張りをするんだよ。そうすると火にあたってその粘土が固くなるじゃない??そこから粘土は焼くと固くなるということがわかるんじゃなかろうかと私は思っている。

島原の縄文中期の遺跡についてこうある。

 島原半島の阿高式土器の遺跡は諏訪の池をのぞいては、海岸地帯である。当時、他地方の遺跡が山岳地帯に位置していることからみて非常に特徴的である。
『島原半島の古代文化』(概説と年表)
宮崎一彰、古田正隆、上田俊之

この「諏訪の池遺跡」ってのは原山支石墓のすぐ近くの遺跡で、縄文時代早期から続いているようだ。前記事で書いたように、この諏訪の池ってのは人工の池であり、諏訪の池は「平坦地」だったそうなので、入江がかなり入り込んでいた可能性はあるので、諏訪の池遺跡も海岸地帯と言えるんじゃなかろうか。でも気温とかが関係はしてくるだろうから、どうなのかな。大きな川があった可能性はあるんじゃないかなあ。
私は以前、長崎県の縄文時代人はいつごろから海に出たのかと考えたことがある。『原始・古代の長崎県』によると、早期・前期の縄文人にくらべ、後期・晩期の縄文人は上肢骨が「特に頑丈」らしい。だから後期には少なくとも外洋に出ていたと考えられる。ということは、海岸地帯にある中期の遺跡の人々も海に依存していたと思える。大村湾岸の伊木力遺跡(諌早市)で前期の丸木舟が出ていることを考えれば、中期には外洋に出ていた可能性もあるんじゃなかろうか。

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