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『肥前国風土記』と『肥後国風土記』

『肥後国風土記』では、八代を「火国じゃ」と名付けたのは、崇神ということになっている。けれども、『肥前国風土記』では景行になっている。

 熊本のことを昔から火の国と呼び慣わしてきました。なぜ火の国と呼ばれるようになったか、そのいわれを説く、いくつかの神話が残されています。例えば「日本書紀」には次のような神話が載せられています。景行天皇が熊襲を平定するため九州にやってきたとき、夜、八代海で遠くに不思議な光火を見かけたことから火の国の名が付いたというものです。

 また、全く違う神話が「肥後国風土記」逸文や「肥前国風土記」に伝えられています。崇神天皇の頃、益城郡の朝来名峰で土蜘蛛の首魁、打猴・頸猴が180人余りを率いて天皇に背いたので、天皇は健緒組に命じてこれを討たせました。これを討ち平らげた健緒組が八代郡の白髪山に着いたとき、夕暮れ空に火が燃え上がるのを見て、驚いて天皇に報告したところ、天皇は健緒組の功をほめ、火の下る国であるからこの国を火の国と名付け、健緒組は火の君の姓を賜ったというものです。

 さて、東陽村の河俣には次のような言い伝えがあります。健緒組が見た白髪岳から奇火が降りたのが河俣村で、後に火の君や阿蘇の君の子孫が久木野に火の君の祖先を、谷川に阿蘇の君の祖先を祀るようになったというものです。
熊本県ホームページ「川俣阿蘇神社」より

ちなみにこの川俣阿蘇神社は八代にあるらしい。えええ??カワマタヒメってここなのかなあ??師木県主波延の妹か。氷川か。まあいいか。

ホラ、崇神の時代の火国の由来は不知火じゃないからさ。
この伝承は、長崎県の北部から南部にかけてある「不思議な光が落ちてきた」とか「空から杵が降った」とかいうのと同じだと思うんだな。
そしてさ、佐世保には「乙石」という地名があって、隕石が降ったとかいう伝説があるんだよ。だからね、やっぱり隕石だよ。確か対馬にもあったよなあ。伝説。
崇神の時代かどうかはおいといても、4世紀頃に隕石が降ったんじゃないのかな。私はさ、それが「矢」の元ネタじゃなかろうかと思う。「光る矢」だな。例えば、仮称A氏という勢力がおさめる地に、隕石が降ったとする。これは天と地をつなぐ光の矢だよ。つまり雷神。この地は天の祝福を受けたと解釈できないかしらね。

うん、やっぱり八代は阿蘇とは違う。どっちかというと島原と近いと思う。

つーか、宮崎康平先生は八代を好古都国だとしているんだよなー。私は佐世保だとしている。好古都国が「アタ」の元だと私は考えているんだな。だから私の脳内では、佐世保も八代も同じなんだよな。佐世保—大村湾—島原—八代だよ。このライン。まあ、私は佐世保=好古都国はすでに確定してるからな。ん、宮崎先生は佐世保は已百支国にあてておられますけどね。これも私の脳内ではあり得るんだけども。でも佐世保は好古都国だ。なんで確定してるかというと、佐世保の相浦川周辺はものすごく歴史が古い。そして、佐世保から大村湾にかけては天然真珠の産地だったからだ。

例えば、八代(沿岸地域)は邪馬台国側、八代の内陸部を経て、鹿児島の川内川の平野部は狗奴国側だと考えてもいいかな。そしたら免田式土器の分布合うかしらね。

なんかわからん「火」が落ちたから「火国じゃ」とするのなら、長崎県側も伝説はあるんだから、ヒノクニでもいいということになるね。だけど、それと八代が火国だってことは別なんじゃないのかな??だって不知火って八代だけじゃないんじゃないの??有明海もあるでしょ??

私はさ、上記の「健緒組」と佐賀の武雄は関係あると思うんだよね。そしてさ、神武紀に出てくる「高尾張邑」もなんか関係ありそうと思うんだな。でも「健緒組」って「健緒熊」かもしれないしな。

うーん、まとまらんな。保留。多分暑いからだ。

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