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茨城国造(応神朝)天津彦根命の孫、筑紫刀祢

これを見て「ん?」と思わない人はいないだろう。
天津彦根命ってのは、神武の時代に紀伊国造になった人だよ。一応そういうことになっている。
神武の時代の人の孫が応神の時代の茨城国造ってことだよ。
まあ、どこかがウソなんだろうけどね。私は神武〜神功の時代はほとんど同じ時代としているので、妥当かなとも思えるけどね。
そもそも筑紫刀祢ってどこの筑紫なんだろうね。筑紫のどこなの??それとも筑紫から来たから筑紫刀祢という名前なんだろうか??あるいは、筑紫を「石を積む」と解釈すると、船が入れるように護岸工事をしたって意味にもとれるけどね。原ノ辻遺跡の船着き場のように。
トネっていうのは、利根川のトネと同じなんだそうだ。ウィキを見るといろいろ書いてあるけど「刀禰は川や船に関係が深く、河川や港浦を中心に分布している。これは刀禰が船頭に由来することを示唆している。」ってのが一番妥当かなと思われる。
筑紫のAさんが当時の茨城国に派遣されましたということになるね。でも、天津彦根命の「子」が書いてないね。なぜだろうね。
そもそも、神武は近畿の方には初めて行ったハズだよ。いったいどうやって国を分けたんだろうね。現地の人の言いなりだったんでしょうかね。
前記事で「茨城国造の祖」といちいち書いてある国造があると書いたけども、天津彦根のことなのか、それとも「子」のことなのかってのがわかりませんね。
この天津彦根さん自体が何者なのかがわからないんだよな。名前はスゴイよね。「天のヒコ」だと言ってるんだから、相当身分が高いハズだね。有名なウケイの時に生まれたミコトなんだけどね。だから実在したのかどうかってのは定かではないんだよ。けれども、私はホヒさんは実在だと思うんだよな。

前記事で書いた、関東地方とか陸奥の方の国造の祖はおおざっぱに言えばこの天津彦根の子孫だということになるんだよね。

ところで「神武の東征」のときに、「常世の国」に行ったという「御毛沼命」「三毛野命」ってのがいたね。ホラ、常陸国は常世だとも言うじゃない??とーさんがウガヤくん、かーさんが玉依姫というゴールデンな血筋であり、神武のにーさんでもあるんだけども、『日本書紀』では出てこない場合もある不思議な人だよ。「毛野」だしねえ。この人が関係あるんでしょうね。つまり、筑紫刀祢のとーさんで天津彦根の子はこの毛野さん??ということは??天津彦根自身が毛野さんであり、「神武」の兄弟ってことも考えられる。けれども、ここでちょっと見方を変えて、神武はおいといて戦で亡くなったという五瀬命の兄弟だと考えてみるとおもしろいんだよ。
同じ兄弟の稲飯命も、かーさんの国に帰るってことになっているね。このイナヒってのを米と関係づけないで、ヒの部分を「日」とか「火」として見るとおもしろいよ。だってこの人は「サヒモチの神」になるという。私はカジキマグロのことかなあと思ったけれどもね。一般的には鰐らしい。ワニ…?
ホラ、神武が架空だと仮定すると、イツセくん、イナヒくん、ケノくんの三人になるね。この中で、実際に戦ったのはイツセくんだね。そもそも、オウの兄弟が全員戦いに行くなんてことがあるハズないね。
私は、ケノくんは関東の方に行ったんだと思うけどな。それが天津ヒコなんでしょうよ。んで、私は以前も書いたけれども、イツセくんはアマノワカヒコと同一人物だろうと考えている。死んだのはアマノワカヒコ。『旧事本紀』ではニギハヤヒが死んだので亡骸を天に送ることになってるでしょ??逆なんだよ。アマノワカヒコ=イツセが死んだので、遺体と一緒にニギハヤヒ(=アジスキタカくんと推定)が「天」に戻ったんだな。双子だから同じ顔なワケ。あ、そういうことになってるんだよ。私の脳内では。
正当な血筋の人は私は岐須美美だと思うのでね。南九州の血をひいてる方だな。それが後に崇神になるワケ。
だからさ、「茨城国造の祖」ってのは、正当じゃない方の血筋なんだよ。つまり素戔嗚尊側。

私は、このアマツヒコとか饒速日に同行したってことになっている「対馬県主の祖」である「天日神命」ってのが気になるね。名前からしてエラソーでしょ??この天日神ってのが「武日照命」であることは間違いないでしょ??ホヒさんの子ってことになってるけどね。対馬のオヒデリ様も同じでしょうね。この人も国造の祖ってことになってるけども、やっぱり関東の方が多いんじゃないのかな。

日神が二人もいるハズないんだよ。もともと一人で男神だったのがアマテラスにすりかわったのか、それとも、男日神を奉斎した勢力が女日神勢力に負けたのかどちらかだね。まあ、倭人伝では後者だろうけどね。伊勢がアヤシイなあ、お伊勢さんが。だって伊勢国造って天道根命だしな。猿田彦を思い出すでしょ??それで大田命ってのもいたでしょ??天道根さんを祖とするのは「大村直田連」ってのもいるんだって。ホラ、やっぱりオホだ。それに私は天道ってのはタケ(嶽)であり、雷神でもあるとしているしね、「於保無良」が「ヒノミチノクチノクニ」にあるんだからこれは妥当だと思うけども。

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コメント

徳島→諏訪ってのはありえますよね。なんらかの勢力が徳島を経由して周防〜常陸に移動したと考えると、紀伊半島や伊豆や安房が無関係であるハズはないだろうなと思います。とすると「神武東遷」のルートも重なってくるかもしれないし興味深いです。私にとって四国って謎です。なんとなく伊予側と阿波側って勢力が違うんじゃないのかなあと考えてましたけれど、「瀬戸内側と太平洋側」なのかなあ。確か徳島にはドルメンがあったように記憶してますけれど(違ってたらすいません)、九州側と交流があったのは事実だろうなあとは思います。八幡の大元は宇佐じゃなくて対馬の木坂八幡(海神神社)って説もありますし、時代が下ればなんでも中央よりになってくるのかもしれませんしね。
熊毛神社は知らなかったのでぐぐりました。勝間なんですね。メナシカツマって人もいましたよね(目のつまったカゴとかいわれてますけど)。私はありゃ「屋」の「船」だと思うんですね。水上生活者の使う船じゃないかと。「歩行(かち)」ととらえても、陸上生活者がわざわざ「歩行」と言う必要はないわけで、やはり海洋民が主体だろうなと考えます。
関係ないですけど、宮地嶽神社の「勝村・勝頼」の神様を思い出しました。

御毛沼命を祀っている神社が周防国の中心地、小周防付近に、熊毛神社として
あります。更に、周防の須々万の伝承では、タケミナカタが逃れて、小周防に移動した
という伝承があります。タケミナカタは、この後、常世=四国の阿波に移動していると
思われます。徳島には、タケミナトミ神社という諏訪神を祀る神社があって、徳島では
諏訪神は徳島から勧請したものという認識があります。

タケミナカタの子孫であるタケコロの子孫が国造となった周准国(すえくに)に、常代神社がありますね。・・・

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