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深堀遺跡

深堀遺跡に行くのは2度目かなー。
遺跡と言っても資料館があるだけなんですけどね。

今は住宅街みたいなところ。

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『長崎市深堀貝塚遺跡資料館』
具体的には「長崎県の遺跡大辞典」の「深堀遺跡」で。

深堀遺跡(リーフレットより)
〜深堀貝塚遺跡のあらまし〜
 深堀貝塚遺跡は、長崎県の長崎半島、西彼杵半島の西海岸側に多く見られる砂丘遺跡を代表する遺跡です。
 深堀川の河口部に発達した当遺跡からは、縄文時代前期から、弥生、古墳、古代、中世、近世に至る遺物等を出土しており、特に、縄文時代前期の土器、石器類などの資料から、九州縄文時代研究の上での標準遺跡となっています。
 遺構では、埋葬施設に特徴が見られ、特に同一地において縄文、弥生、古墳各時代のものがあることは、人類学の上でも貴重であり、埋葬の変遷の上でも注目されています。
 このように、深堀貝塚遺跡は日本の西端域での原始時代解明のための格好の遺跡です。


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1500年前なら6世紀の初頭ってカンジかな??
まあ、普通だね。


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砂州だったらしい。


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へえ、今年も調査したんだなー。つーかビニールシートがかかってる土地があったけどあそこだったのかな????わからん。


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かなり大きい貝塚だったみたいですな。


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有名な腰岳産の黒曜石だけでなく、鹿児島県産(鹿児島県大口市)もあったってことは興味深いね。
ちなみにあたくしの写り込みはありません(注意したしチェックもした)。手は写ってるみたいだけど(チッ…)。


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↑小児用甕棺・壺棺、成人用はナシ。いらんけど。


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↑この土壙墓がいつの時代なのかよくわからないなあ…。
いずれにしてもこれだけの貝輪をしているということは巫女かなんかの身分の高い人だったのかしらね。でも土壙墓だからなあ??縄文時代でも箱式石棺はあるからなあ…。イモガイかなあ。


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高いところにある説明はうまく撮れません。小人なので。


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↑なんちゅう保存状態のよさ。


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弥生時代中期の鉄剣らしいけど。ここからも出てるんだ。んだからさ、この鉄剣が北部九州のどこの地域のと似ているとかさ調べてほしいんだよな。そうすると北部九州のどの地域と関わりがあったかってのがわかるじゃない??弥生時代中期なら吉野ヶ里最盛期の頃でしょ??大村の遺跡ともなんらかの関わりがあるかもしれないじゃない??


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向かって左から「縄文人、弥生人、深堀弥生人」と書いてあります。
深堀弥生人は「縄文時代後期、晩期」の縄文人と似ているとあります。
うん、それでヨシ。土着だってことだからね。ホラ、西北九州弥生人てのは現代人に近いんだよ。背は低いけどね。
つーか、いわゆる北部九州や土井が浜型の弥生人よかこの深堀弥生人と近い人たちの方が人口多かったと思うけど(九州内で)。
遺跡大辞典の方をみると、弥生時代の箱式石棺(屈葬)内からも貝輪をした女性人骨が出てるみたいだな。


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まあ、そういうワケでこの程度なんですけどね。


深堀は武家屋敷跡があるんです。


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石塀が残ってるんです。
んで、深堀神社へ。


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コケむしたカンジの石段がいいカンジ。


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真ん中の茶色い建物が社殿。ちゃんとお参りしました。


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↑向かって左側の社。なんの神様かはわからないけど、奥の方にエビスと白蛇がおいてあったからおそらく海系だろうね。あたくし的には事代主っぽいなと思うけど。


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↑向かって右側の社。これは三浦神社。なぜに三浦かというと深堀氏に関係ある。


【祭神】
猿田彦命(さるたひこのみこと)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
 創建の時期は不明であるが、上総国に居住していた三浦氏の一族・深堀能仲が、承久の変(1221年)の恩賞として肥前国戸八浦(現長崎市戸町付近)の地頭職を受け、建長七(1255)年に当地に下向したときにはすでに鎮座していた。
【境内社】
 天満宮、三浦神社、稲荷大明神だが、近隣から集められたのか石祠多数が祀られている。
【深堀氏】
 彼杵郡深堀(現長崎市と西彼杵郡の一部)を知行所とする佐賀藩の家臣。家老格。知行高六千石、元来は関東三浦氏の一族で上総国を居所とした。
【文化財】
 深堀神社の鳥居(旧幸天宮石神門)、長崎市指定有形文化財。現在の鳥居は二代目で寛文3(1663)年の再建されたものだが、もとは文政8(1828)年に台風で倒れたものを、天保8(1837)年に再建した。
iタウンページ 深堀神社 より

↑これは帰ってから調べたもの。その時はよくわからないまま帰途についたんですが、なんでさるたひこ??
んで、深堀神社から道路の方(海側)へ歩いていると、


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住宅街の中にいきなり八坂神社があって(いかにも無理矢理残しましたってカンジね)、またこの先に、


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ん?なんだ小さい神社が…。


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無理矢理横から入ってみると「亀王社」??聞いたことないなあ。
まあ、亀に乗ってるのは海の神様だろうね。背後にちょっとだけ見えてるけど海があるね。よく考えてみると、ここから深堀神社まで一直線っぽい。
なるほどね。深堀神社が深堀氏がやって来る前からあったのなら、この三つはセットの可能性もあるよな。海からあがってくる神様だね。磯良とか豊玉姫とか豊玉彦とかいわゆる安曇系の神様だな。
深堀神社の鳥居と本殿がちょっとズレてたけど、向かって左の海系と思われる社とセットだったのなら納得がいく。
うーん、やっぱり海だな。

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コメント

で、うちの三島の家紋が、
対島美津島町鴨居瀬の産の海、紫瀬戸と呼ばれる
豊玉姫が大亀に乗ってやって来たという神社、
=津口和多女御子神社(現:住吉神社)の神紋と同じ。

地名:美津島=ミツシマ → 御島、三島
   鴨居瀬=賀茂(三島賀茂)、伊勢(三輪山の三島湟咋耳命の娘の
          タタラヒメの血脈を汲む倭姫が下った伊勢 …)

深堀城には祭祀の職掌の次席家老がおったそうな。
事代主=エビス=アメノウズメの舞を継承する磯良

深堀の祭祀職掌継ぐ家=三島
攝津の三島古墳群、ミゾクイ神社、三島丘に磯良神社

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