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北部九州の弥生人

いろいろ考えた。
北部九州の伸展葬の箱式石棺は朝鮮半島の人なんじゃないかと。と言っても朝鮮半島にはいろんな人が住んでいた。
土着の元縄文人=汗人
古くに大陸から来て住み着いた人=韓人
言葉の違う人
北方系の人
九州から来て、拠点集落にいる倭人=在韓倭人
九州から対馬を拠点にして一時的にいる倭人=対馬倭人
ほんとのところは汗人と韓人は同じなんだろうけど、区別するために便宜的にこうしておく。
汗人と対馬韓人と在韓倭人は言葉が通じると思う。
対馬倭人と在韓倭人は同族だろう。
私は素戔嗚尊はこの行き来している倭人なんじゃないかと思う。高天原を追い出されたあと、九州側のシンパをひきつれて半島へ行くけれども、やはり日本側がいいと思って出雲へ行ったんじゃないだろうか。
古い時代から半島で鉄を採っていた部族が素戔嗚尊の部族じゃなかろうか。だから弥生時代の後期に北九州に箱式石棺が急増するんじゃないだろうか。
もちろん、半島と行き来しているのは素戔嗚尊の部族だけではないけれど。
よく、素戔嗚尊が奴国人だという説がある。じゃあなんで宗像はあそこにあるんだろうと私は思うんだよなあ。
熊本だって鉄器はたくさん出るでしょう??
卑弥呼が死んだ後、大乱が起こるけれどもその時期って半島や大陸もゴタゴタしてたんじゃないだろうか。
たとえば、新羅なんかも王の系統が3つある。まずこれが統一国家でない証拠だ。無理やりつくられた国であることがわかる。加羅はもっとひどい。
だから、日本側が統一を進めると同時進行で、半島側の倭人、在韓倭人、汗人もまとまろうと努力したんじゃないだろうか。そのとき日本側にいた張政さんのアドバイスもあったんじゃなかろうか。
じゃあ、素戔嗚尊は日本側ではどこの人だろうかと考えると、やっぱりよくわからない。倭人伝と神話を比べてみると、狗奴国人が浮上するけど、狗奴国はどう考えても北部九州とは思えない。それによく考えてみると、素戔嗚尊が伸展葬の箱式石棺を行う部族だとしたら、出雲も北部九州と同様に箱式石棺がたくさんあると思う。とすると、弥生時代後期に北部九州に箱式石棺をたくさんつくった人たちは、在韓倭人ではないかと思う。のっぺり弥生人は大陸系だろうから、主に江南あたりから船にのって半島に到着し、そのままそこに住み着いた人とと九州に住み着いた人がいたんじゃなかろうか。当然、受け入れたのはもともといた汗人だな。
私は北部九州箱式石棺族は、雷大臣系統の在韓倭人ではないかと思う。その人たちが、素戔嗚尊の帰国と一緒についてきたんじゃないだろうか。

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